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発刊の趣意・信条

発刊の趣意・信条

◆夫れ、防共に参加せざる者は日本人にして日本人にあらず、人類にして人類にあらず、即ち正義人道を守る者にあらず、自由平和を愛する者にあらず又、民主主義を奉ずる者にあらず、亦真理に忠なる者と謂ふべからず、科学を信ずる者とも謂ふべからず何となれば共産党はマルクスの自白せる如く妖怪にして労働者農民を欺疽し青年学生を誘惑して産業を妨害し道徳を破壊し、文化を破壊せしめ、人類を滅亡せしむるものなればなり本紙創刊号(昭和二十四年一月)「防共の大儀」に掲載した「発刊の趣旨」前文である。

◆「防共新聞」の前身は、「皇道日報」(昭和八年創刊)で主催者の故福田素顕翁が皇道実践に基づく攘夷戦闘紙として刊行した。

◆本紙題号である防共の共が、共産主義、そして共産党を意味するものであるは、あらためて説明を要しないところである。

◆故に、本紙第一義的使名は、共産主義および共産党と対決し、これを掃滅することにあると受け取れるのもまた必然の帰結と言える。

◆敢てこれを否定するものではないが、しかし本紙目的は防共に始まり滅共に尽きる、ただそれのみでは断じてないのである。

◆顧みれば、本紙創刊時の昭和二十年頃の我国は、正しく敗戦後であり、思想の混乱、道議の退廃、その極みに達し、破滅亡国の寸前といった様相を呈していたのである。
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◆その間隙わ衝いて赤匪日共は、謀略に東奔西走、さながら大馬空を行くがごとき勢いを示し、彼らの高唱する”ああ革命は近づけり”の感いよいよ急なるものがあった。この危機を目前にした当時愛国陣営として、まず全力を傾注して当たるべき緊急焦眉の課題が赤徒との対決、粉砕にあったことは極めて当然のことと言えよう。

 それは全愛国者が期せずして一致した運動の路線だったのである。

◆本紙は、かかる国内情勢下に、出ずべくして出たものである。したがって題号も一目瞭然「防共」と掲げ、小なりとも一貫不動の筆陣をはって今日に到り、初心の灯を消していない。    

◆以上、概略的説明によっても明らかな通り、本紙目的は、たんに防共、滅共にあるのではない。それを以て終わりとするまのではない。

◆じつに祖国に仇なす最大最強の賊徒が日共と、その支配勢力であるとゆう認識の下に、これを徹底掃滅し、以て万邦無比の国体を天壌無窮に擁護し奉ろうとすることにこそあるのせある。

◆したがって率直に表現すれば「尊皇新聞」とするのが正しい。本紙目的は断じて防共そのものではなく、滅共そのものでもない、それは尊皇であり、国体明徴であり、国体擁護なのである。

◆防共、滅共は、そのための手段に外ならないのだ。とはいうものの、これをおろそかにできないのが現実であることも、残念ながら認めざるを得ない。
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◆彼らの戦略と戦術は、終戦直後の幼稚単純さから脱却して、陰険鰍ツ妙化して来ている現状下に於いてさらに然りである。

◆要するに言わんとするところは、防共、反共、勝共が愛国運動のすべてではないと言うことなのである。 それが、尊皇護国、国体擁護を使命第一義とする場合のみ、愛国となるのだ。我れ人共に純正愛国運動者は、この原点」を見失ってはならない。これを踏みはずした防共、勝共運動は、いたずらに愛国戦線に混乱を生ぜしめ、敵を利するに結果するだけである。

◆最近に於ける、対共産主義運動の活発化を見るにつけ、その感をいよいよ深くせざるを得ない。 

◆防共新聞は、正しく防共を掲げこれを叫び続けているが、その唯一絶対の目的は、尊皇であり、国体護持である。全てはこの一点に尽きる。

by boukyoupress | 2011-06-11 10:04 | 時局厳正論

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