皇國体を明徴せよ=福田草民=

f0180693_9174616.jpg

◆輝かしき皇紀二六六九年を迎へ、御皇室の彌栄を祈念すると共に皇國體明徴運動に邁進することを誓ふ。
◆去年、田母神論文が政府を搖るがした事は記憶に新しい。火をつけたマスコミの意図は、自衞隊の大幹部が大東亞戰爭の侵略性を否定したことにより、マスコミが創り上げようとする「反日社会主義國家建設」の大きな邪魔になつたからであることは明らかである。マスコミに追從した政府は、十三年も昔の平成七年、時の総理であつた旧社会党の村山富市が敗戰五十年目を期に國会で所謂謝罪決議なるものを持ち出し、政府見解と異なる者が自衞隊の大幹部であるのはいかゞなものか、と田母神氏の首を切つたのである。(幕僚長を解任すれば定年の歳に達してゐるので、追ひ出すことが出來る。よつて政府の意志は定年退職ではなくクビ切り。その証拠に退職金を返納せよと公言して憚らなかつた)これにより政府は「反日」であることが又一つ証拠づけられた。
◆戰後政府は事実上、自民党の独裁政権である。謝罪決議を行つた首相は旧社会党首であつたが、自民党の連立により担ぎ出された首相であり、当時も自民党の数が圧倒的であつた。よつて自民党そのものが十七年前より「反日政党」であることが証明されゐたわけである。そもそも保守政党と言はれてゐる自民党が社会主義政党と連立を図つた時点で、國民は氣づかなければならなかつた。また世間では村山談話より河野談話が有名無実であるのは、所詮権力は自民党にあつたからである。
◆近年右傾化されたと巷では噂されてゐる。八月十五日靖國神社公式參拜を公約とした小泉內閣は、圧倒的な國民の支持により生まれたといつて過言ではない。日本の内閣としては珍しく任期滿了まで勤め上げ、高い支持率を維持し、その後も保守のエースと目され、北朝鮮に強い姿勢を示した安倍晉三を指名し、一時期は福田康夫といふ親中反日内閣が生まれたが、去年秋にはやはり保守といはれ、胸にブリーリボンを常に付けてゐる麻生を首相とする內閣が誕生した。此処で云ふ保守とは、日本の伝統・文化・歴史を重んじ、いつでも自國に誇りを持つ姿勢を指す。
◆村山・河野談話を踏襲する內閣は、果たして右に述べた保守の定義に入るのか?社会主義政党に續き、邪敎創価学会公明党と連立を組む政党が果たして保守なのか?世の中は佛敎用語で謂ふところの「有為転変」や「諸行無常」といつた全てのものは常に移り変はる、といふ敎義に沿へば確かに大東亞戰爭前と後とでは違ふだらう。しかしそれは目に見える現象や事象ことであり、ましては我が國は佛敎國ではない。我が國は 天皇を戴く神國である。皇國體は神代から連綿として續き「有為転変」や「諸行無常」はないのである。
◆田母神氏のクビを切るに当たつて自民党の防衞族議員は「麻生總理も濱田防衞大臣も、その信條はよく理解してゐる。泣いて馬謖を斬る・・・・との心境であらう。そこを理解してほしい」と言ひ、また自民党若手議員は「以前、憲法論議をしてもいゝといつただけで、クビを切られた防衞長長官がゐた。しかし、今では憲法改正の有無はおいておいても、憲法論議そのものを否定する人はない。田母神氏の論文も將來は同じことになるだらう。歷史は時代がたてば新しい史実や資料がでゝくる。それをもとにして歴史検証をするのは、当然のこと。その学問的な自由まで否定するかのやうな論調には辟易する。与野党の政治驅け引きのなかで、結局、自衞隊は腫れ物にさはるやうに扱はれてきた。これからもさう扱はれるのだらうか」と大手記者に語つた。民主党中堅議員も同じやうな事を語つたとされる。
◆右のやうに一聴すればまともな議員もゐると思ふだらうが、今囘の謝罪決議に基づく事件は、國会議員どもの歴史觀や思想を議論し云々するレベルではない。先の大戰を謝罪し不戰の誓ひをせぬ航空幕僚長のクビを切るといふ事は、亡國行為であることを果たして認識してゐるのだらうか。敵國から見れば不戰を誓つた軍隊など恐るるに足りないだらう。これを亡国行為と謂はず何が亡國なのか。
◆所謂六十年安保や七十年安保に代表される日本全國「赤旗の大波」の時代から比べれば、現在「さゞ波」程度に收まつてきたことは事実である。しかし乍らそれを右傾化と呼べるのか甚だ疑問である。前に述べた議員どもの悠長な發言を顧みると、さゞ波程度に收まつた赤い勢力が、またぶり返しかねない。
◆眞の保守とは右でもなく左でもない。常に中心であり、現時が左より中心に少しだけ近寄つただけである。此処で云ふ中心とは皇國體が明徴され、それが実践された世のことである。この定義によれば現時は決して中心より右へは動いてはゐない。また動いてはならぬのだ。よつて現時の右傾化といふ言葉は当てはまらないし、國会に集ふ者共に「保守」といふ言葉は当てはまらない。
◆保守を氣取つた議員が「愛國心を養ふ敎育」といふものを國会で議論した。我が國に於いての愛國心とは尊皇心と一体である事は疑ふ予地もない。よつて國を愛する氣持ちは即尊皇に繫がらなければならない。今の議員共に尊皇心をもつて國政にあたる仁が一体どれほど存在するのか。國政は政治の場である。中心軸がぶれてしまつてゐるか、中心がない現時の政治は國を滅ぼし、民を惑はす惡でしかない。
◆田母神論文を讀めば正論に近い。しかしこの論はとりたてゝ目新しいものではない。大東亞戰爭終結直後から存在してゐた論である。しかし自衞隊の大幹部があの論文を發表したことに価値があるのだ。眞の保守勢力は田母神氏の論文を支持するのではなく、田母神氏の行為を支援することが最良であると考へる。效果ある支援とは村山・河野談話の破棄に向けて邁進することである。
◆鑑みて近年の歪んだ事象は敗戰に始まり、村山・河野談話で確立されたと云つて過言ではない。さうして積み上げられた、日本の歪みや穢れを直し淸める義務のある我らは、敗戰國にとつて容易ではないことを改めて自覺しまた覺悟し、皇國體の明徴に努め、実践していかなければならぬ。
            (一部現代漢字使用)
[PR]

by boukyoupress | 2009-01-01 09:18 | 時局厳正論

<< 内閣不支持7割を超す 奉祝・天長節 >>