●「配慮」が領土喪失の悲運を招く!

(竹島)に欠落する国家意識=森田忠明
平成20年9月3日

七月十四日、文部科学省は中学校の新学習指導要綱(四年後完全実施)社会編の解説書を公表した。曰く、
「我が国と韓国の間に竹島をめぐって主張に相違があることなどにも触れ、北方領土と同様に我が国の領土・領域について理解を深めさせることも必要である」 
 韓国が占領中の竹島の問題に初めて触れたのは遅きに失したとはいえ、国家意志の表明と思えば歓迎すべき決意ではある。
 しかし、わが国固有の領土であるに拘らず、「竹島をめぐって主張に相違がある」とはあまりに不鮮明。実は、文科省が「我が国の固有の領土」と明記せんとした当初の方針が、韓国から理不尽な横槍を受けた結果、外務省の「配慮」方針を汲んだ福田首相の最終判断によって、直接的な領有表現を避ける形で変更されたというのだ。
 解説書は北方領土について、「ロシアに不法に占拠され、返還を求めている」と、従来の表現に「不法に」を加えた。だが、竹島となるとトーンが一段と落ちる。「両国の主張に相違あり」とは、領有国の主張を擲って帰属先不明をわざわざ提示したこととなろう。
 なにゆえ首相は、かくのごとき不明に陥ったか。政府はその理由を、「李明博大統領と福田首相のシャトル外交は軌道に乗っており、日韓関係がぎくしゃくすると、新時代に向けた積極的な動きが頓挫する。拉致問題解決にも悪影響を及ぼしかねない」(町村官房長官)と弁明するが、とどのつまりは韓国への筋違いの「配慮」が生ぜしめたもの。

韓国の驕慢と錯乱と 

日本政府がかねてより自身の不甲斐なさを隠蔽する口実とし、そのために国益を大幅に損なってきた「配慮」という専売特許を、福田政権もまた得意顔で駆使しているたわけな構図が見えてこよう。領土問題における「配慮」なるもの、いかにわが国を挽回不可能な最悪の地位に陥れるかを想定せぬ不届き至極の発想であることか。竹島が早晩、国際社会から「韓国領」と認定される危険性への無頓着さ、まことに憤慨措くあたわざるものがある。
 見よ、「配慮」の果ての腰の引けた文言すら許容せぬ隣国の驕慢を。卵投擲や国旗侮辱では済まずして「開戦」をあげつらうその錯乱を。盗人猛々しいとは正真正銘のことを指すが、誤信であれ自国領と信ずればこそ民族的ヒステリー状態を臆面もなく晒しうるのである。かくのごとき無法国家を目前にして、「一つの案件で日韓関係が大きく左右されるのは避けたい。冷静な対応を期待する」(町村)などと説くのは領土問題を軽視する者の戯言に過ぎまい。
  「日韓関係」「未来志向」といった古証文は今や、文字通り色褪せている。竹島や歴史問題で韓国がその言い分に異を差し挟ませぬこと、中国の尖閣・人権・友好その他におけると瓜二つであるのは自明である。そうした独善を野放しにしたままの「新時代」も「友好」も、どだい構築不可能事に属する。わが政府人士の意識改善なくして野蛮国との対等の交際は無理というものだ。

鞏固たれ「天皇国」意識

 日韓両国の「新時代に向けた積極的な動き」は、韓国の竹島掠取という国際法に悖る蛮行の前に、すでに頓挫して久しい。この期に及んで「新時代」「未来志向」「善隣」等々、歯が浮く美辞麗句を弄ぶでない。進んで多年弄んだがために、竹島は言わずもがな靖國神社や教科書ほか他面にわたって煮え湯を飲まされてきた苦渋を想起せよ。拉致事件解決に悪影響を及ぼしているのは、むしろ太陽政策とやらにうつつを抜かしてきた韓国自身でなかったか。
 真物の日韓新時代を拓開しようとならば、位負け外交を断固停止しなくては埒があくまい。何を好んで顔色を窺ってきたか。日本国としてなすべきこと山ほどあるなかに、対等あるいはそれ以上に物申せる度胸の涵養が最も望まれよう。
 必須の意識改革とは、国家意識の回復をいう。眼中に党派あって国家なき者は、永遠に竹島を盗られ、ついに国を滅ぼす。国家は政府にあらず、断然祖国である。天皇国日本である。天皇国日本の公僕意識も鞏固に、勇を鼓して竹島奪還に邁進するこそ、政府人士の使命と知れ!
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# by boukyoupress | 2008-09-07 11:37 | 時局厳正論

無責任極まる辞任劇

福田康夫首相は一日夜、首相官邸で緊急記者會見を開き、首相を辭任する考へを表明した。午後九時半過ぎからの會見で首相は「新しい布陣のもとに、政策の實現を圖つていかつていかなければならない」と述べて、辭任を決意した理由を語つた。

氏は任期中のサミットを恙なく終へたことに滿足してをり、この後は自民黨が慘敗と噂されてゐる總選擧や、自衞隊の給油法など、氏にとつては面白くないことばかりが續ので、これ以上總理を續けることに意味がないと思つたことは、火を見るよりも明らかである。
無責任なる辭任劇は福田康夫に限つた事ではないが、今時のやうな政局の混亂に乘じようとする勢力が、黨利黨略を張り巡らし「我こそが國民の爲に云々」と湧き出て、國會にまとはりつく寄生蟲のダマシアイに翻弄されるのは、何時も我ら良識ある國民である。

無責任なる總理よ!政治家よ!國民の政治に對する意思は、選擧のみで表すことしか出來ないと思ふなかれ。正しい意志の表れは日本の悠久なる歴史が證明してゐるところである。
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# by boukyoupress | 2008-09-03 20:20 | 時局厳正論