戦後日本の救世主(山口二矢烈士墓前祭)

 昭和35年10月12日、山口二矢烈士は時期首相と目されていた社会党・浅沼稲次郎党首を屠った。その年11月2日、山口烈士は東京鑑別所の壁に「天皇陛下万歳」「七生報国」と書き残し自決した。今日その日から48年の歳月が経った。弱冠17歳という若さで、日本の赤化を防ぐという神業を成し遂げた烈士は、正に神であった。
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 その意志を継承し明日の正しい姿の日本を創るために、日々奔走する有志が東京青山にある梅窓院に集まり、毎年墓前祭を執り行っている。今年も「山口二矢烈士顕彰会」(会長・岡田尚平)を中心に多くの同憂同志が烈士の墓前に集まり、それぞれが手を合わせ誓いを新たにした。
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山口二矢烈士略歴

生年月日   昭和十八年二月二十二日。(二番目の男子、二月二十二日生まれ、二の字が続いたことから、父は「二矢」と命名したという)

出生地     東京都 台東区 谷中

昭和三十三年玉川学園入学、父の転勤に伴い北海道札幌 光星学園へ転校。再び東京へ戻って玉川学園に転入。十六歳の時 愛国党へ入党。本部員となる。

時に退学。その後 杉本広義の紹介で大東文化大学の聴講生(事件当時の身分)となる。愛国党時代の本部員  総裁赤尾敏。参与浅沼美智雄。青年隊岡田尚平中堂利夫、吉村法俊、鷺信次、加藤一夫、中村芳彦、山田十衛(杉本先生義弟)、岡村昭章(後、桑山と解明)他。昭和三十五年五月 吉村法俊、中堂利夫と愛国党を脱党。

「反共アジア連盟」を結成し杉本牧場へ出入りしたり防共挺身隊の福田進から小遣いをもらって秋になった。同年十月十二日、東京。日比谷公会堂で行われた「三党首立ち会い大演説会」で二番手に登壇した社会党委員長、浅沼稲次郎を刺殺。十一月二日、東京少年鑑別署で自決。
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by boukyoupress | 2008-11-02 18:15 | 時局厳正論

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